ゲイでノンセクシャル~人生の雨宿り~

雨ばかりの人生に、雨宿りができる場所を作りたい

セクシャリティは「僕自身」前編

始めに

 ノンセクシャルについては、以下の記事で説明しました。

その中で、個人差があると言いましたが、じゃ僕の場合はどうなの?というのを

伝えたいと思います。

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言葉の大切さ

 これまで、偉そうに解説していましたが、実は僕自身が「ノンセクシャル」

という言葉を知ったのは、つい1~2年前で大学に入学してからでした。

ただ、違和感は中学生の頃からあって、自分はゲイかもという違和感よりも

早かったです。「アセクシャル」という言葉を知った時に、「似ているけど

少し違う」と感じ、自分は名前もないような珍しいセクシャリティなのかも

しれない、と焦っていたのを覚えています。やはり自分が何者なのかが分からない、

言葉で表現できないというのはものすごく不安です。だからこそ「ノンセクシャル」

という言葉を見つけた時は、生まれ変わったかのように、周りが鮮やかに

見えるようになりました。

 今でこそ、セクシャリティを受け入れていますが、中学生~高校生は、

悩まない日はないぐらいに悩み続けていました。

すべてが変わった中学校

 自分の違和感に気づいたのは、中学校に入ってすぐでした。

入学式を終えて、ガラリと教室を開けると、きれいな男女の境界線がありました。

制服、座席はもちろん、おしゃべりや休み時間を一緒に過ごす相手も、

すべてが男女で分けられていました。

 なによりも不思議だったことが、それを当たり前のことだろ、とみんなが

受け入れ、先生たちまで何も感じていなかったことです。つい数日まで男女関係

なく一緒に遊んでいたのに、みんな仲良くしていたのに……

どうしてみんな変わっちゃったの?とよく一人でさみしい思いをしていました。

 また、僕は昔から部屋で遊ぶことが多く、音楽も好きだったので、吹奏楽部に

入ることにしました。でも、中学校の吹奏楽部は、圧倒的に女子の人口が

多いです。だから男子で吹奏楽部に入るやつは、女々しいやつか、

女にモテたいやつだ、と運動部の男子からよくいじめられていました。

 そのせいもあって、女子と一緒にいると冷たい目を向けられたり、

付き合っているだろ、と冷やかされたりしてしまいます。でも、男子からは

いじめられ、男子だけの空間にいることがとても辛かったです。性格が合わない

というのもですが、あらゆることを恋愛や下ネタに結びつけたり、ノリが

よくないやつは叩かれたりするあの独特の雰囲気が苦手だからです。

 結局、文化部の男子のグループ以外には居場所がありませんでした。

自分が男子でも女子でもないような気がして、この頃から「男」と

決めつけられるのが嫌でした。「俺」という一人称が使えなかったり、

すね毛を見られるのがすごく嫌だったり、男子トイレに入るのをためらったり

していました。でも、「女みたい」と言われるのはもっと嫌で、しだいに

セクシャリティの話題に過剰なほど敏感になっていきました。そのせいもあって、

かつて社交的だった性格も、みるみる内向的になっていき、一人でいることが

一番楽だと思うようになってしまいました。

読書と部活は逃げ道

 どういう訳かは知りませんが、学校の中で一人でいる人は「ぼっち」

(ひとりぼっちの略)と呼ばれ、いじめの対象になるんです。

僕もその標的にされていましたが、一人でいてもいじめられない瞬間が

あるんです。それは楽器を吹いている時と、本を読んでいる時です。

 不思議なことに、この2つをしている時は、ほとんどの人がしゃべりかけて

こないし、こちらに目を向けることもありませんでした。そのことに気づいた僕は、

辛いだけの現実から目を背けるために、楽器と本の世界に逃げ込んでいました。

どこかに居場所があるということはそれだけで心強く、また2つ持っていたおかげで、

依存せずに済んだのだと思います。

 そのおかげで、中学2年で楽器をユーフォニアムからトランペットに変えさせられた

時も、ひきこもったり、不登校になったりすることなく、何とか中学校を乗り越える

ことができました。(楽器交代は、スポーツで言うポジションを変える、

利き手利き足を変えるぐらい重大なことなんです)

 もし今が苦しいと感じている人がいれば、2つの逃げ道を探してみましょう。

見つからないのなら、1つでもいいと思います。そのまま耐え続けて砕けるより、

逃げた方がずっといいです。逃げることを恐れないでください。

おそらく、逃げていなければ僕はこの世にいなかったと思います。

 人生をあきらめるのは、現実に追いつかれてからでも遅くありません。

まずは、辛い現実と接する時間を減らすことから始めましょう。

失ったものを取り戻していった高校時代

 趣旨がずれてしまし、とても暗い話になってしまいました。すみません!

高校に入ると、そこは中学校とは別の世界でした。受験で入った進学校

(といっても落ちこぼれの学校ですが……)ということもあって、中学校のような

無法地帯ではなく、あらゆる悩みが解決していきました。

 まずは、中学に比べて男女の仲が格段に良かったです。また吹奏楽部の男子人口が

多かったこともあって、いじめられるどころか「カッコイイ」と言ってくれるように

なりました。普段言われることがなかった「カッコイイ」という言葉は、

どんな言葉よりも嬉しい言葉で、今でも大好きな言葉です。

 そして、高校では吹奏楽部が合唱もしていたので、必然的に声を出すように

なりました。楽器を吹いていると、声を出さないので、わりと自分の中では

大きな変化でした。不思議なことに、日常から声を出すようになると、気分も

明るくなり、性格もしだいに外向的になっていきました。

 クラスのみんなは、男女共に落ち着いていて、メリハリがある人ばかりだったので

自分も感化されて、表情を表に出せるようになりました。

そんなの当たり前じゃんと思うかもしれませんが、当時の僕にとっては

表情を表に出すことは、とても勇気がいることでした。

「なんか笑顔不自然だね」「泣いてるの?うける」「今怒ったでしょ?」

中学で浴びてきた何気ない言葉は、心の奥深くに染み込んでいました。

でも親には心配をかけたくないから、その一心で仮面をかぶり続けた顔は

気づけば思うように動いてくれなくなりました。だから高校に入ったばかりの頃は、

笑っただけでほっぺたの筋肉がつっていました。今でも笑いすぎるとすぐに

つってしまいます。成長期に残した心の傷は、体にも残ってしまうものなんですね。

 そして、感情を取り戻していった僕の元に、とうとう「思春期」というものが

やってきたのです。

遅かった心の思春期、早かった体の思春期

 心の思春期はとても遅かった僕ですが、体の方は誰よりも早く、

小5には声変わりが止まってしまいました。(そのせいで地声が高く、全然声が

通ってくれません……)また、全身の毛が小6にはびっしり生えてきたので、

体操服や水着、短パンを履くのがとても嫌でした。(これらは、セクシャリティに

過剰に敏感になった大きな原因の1つです)

 また、家にインターネットがなく、携帯電話も高校まで買ってもらえなかった

ので、本や教科書しか情報が得られませんでした。体や性に関する本を借りたり、

買ったりする度胸は当時の僕にはありませんでしたので、保健の教科書が

全てでした。でも、そこに書かれていることは、僕には微妙に合わなかったんです。

 まず「異性に惹かれる」ようにはなりませんでしたし、「互いを意識する」

こともありませんでした。また、「性欲が高まる」と書かれていますが、

純粋無垢な当時の僕に「性欲」が何なのかは分かるはずがないのです。

そもそもエッチなものを得る手段がないので、知識はまったくありませんでした。

(キスすると赤ちゃんができると、高校まで本気で信じていました……)

 その一方で、声が変わり、毛が生えるようになり、顔にはニキビが出来て、

身体ばかりが大人になっていく自分がとても怖かったです。だんだん自分では

なくなるような感覚でした。しかも周りは自然と受け入れている、

それが何よりも不安でした。高校生になり、携帯電話とインターネットを得た僕は、

あまりの自分の知識のなさにあきれると共に、得る情報すべてがカルチャー

ショックの連続でした。

 「妹か弟が欲しい!」何気なく言ったその言葉は現実となり、妹が

生まれましたが、その真実を知った時には、親にとてつもない罪悪感を感じたのを

今でも覚えています。

(すべては、曖昧にしか書かない教科書が悪いんだ!)

ゲイであると知る(下ネタを含みます)

 高校に入り、様々な情報を得た僕は、ようやく自身がゲイであるかもと気づき

はじめました。人間の体について詳しく知りたい、と思い手に入れたばかりの

ネットで調べていくうちに、気づけば男の体ばかり追っている、と気づいちゃった

んです。はじめは女子の体も調べていたんですが、

(変態ではありません。勉強のためです!)

驚くほど興味が湧かなかったんですね。それによくよく考えたら、

初めて「出ちゃった」のは、興味本位でアソコを触ってたら、だったし、

エッチなことに興味があるというよりは、単純に自分の体や男性の体に興味が

あっただけでした「エッチなことしている」というだけで、

とてもワクワクしましたし、人の体ってすげぇーと、一人で勝手に感動していた

のも覚えています。

 でもしだいに、「男性の体への興味」だけではとどまらなくなっていき、

気がつけばクラスの男子ばかり目に追うようになっていました。

さらに、他の男子も自分と同じ体の仕組みなのだろうか?と気になって、

とうとうエッチな動画に手を出してしまい、興奮している男性の姿を見て、

自分も興奮していました。(変態ではありません、勉強のためです!)

 この頃から薄々自分はゲイなんだろうな、とは気づいていましたし、

ゲイの存在も知っていました。しかし、現実の人を好きになったことはない以上、

「好き」がどんな感情なのかも分かりません。しだいに自分は「男の体に興奮

しているだけのヤバいやつ」なんじゃないかと思えてきて、ゲイであると

認めたくありませんでした。性的なこと全般を避けてきた中学時代のツケが

まわってきて、エッチなことをしてはダメ、ましてや男の裸を見るなんてもっと

ダメだと思いつつも、ふつふつと湧き上がる性欲と、見たいもっと見てみたい

という好奇心に負けてしまい、罪悪感と背徳感をいつも感じていました。

(男性なら分かってもらえそうですが、いわゆる「抜いた」後のあの何とも

言えない感情です)

「好き」ってなんだろう?

 ただ、不思議なことに、現実の男子をエッチな目で見ようとは思えず、

ただ「カッコイイなぁ」、「いい筋肉しているなぁ」という「好意」にとどまって

いたんですね。ましてや、「エッチなことをしたい」とは到底思えず、

また現実の男子を「おかず」にすることは、ものすごく抵抗がありました。

 実際、現実の男子を「おかず」にしたことも、エッチをしたこともありません。

おそらく今後もよほどのことがない限り、するつもりはありません。

(というかしたいとも思えないんです)

 内面で高まっていく性への関心とは裏腹に、それを外に出すつもりはない、

でも、自分は男性が好きだ、とはっきり言うことができる。

結局「好き」ってなんだろう?それは初恋によって明らかになりました。

(長くなるので、一旦切ります!)

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