ゲイでノンセクシャル~人生の雨宿り~

雨ばかりの人生に、雨宿りができる場所を作りたい

「自分らしさ」ってなんだろう

自分らしさとは

 LGBTについての取り組みの中で、よく「自分らしく生きよう」

というキャッチコピーを聞きます。この自分らしさとは、

何なのでしょうか?

 確かにカミングアウトをすることや、カミングアウトを寛容に

受け入れてくれることは、のびのびとしていて、素の自分を

隠さなくていい、素晴らしいことのように思えます。

 でも、逆にカミングアウトをしなければ「自分らしさ」は

出せないんでしょうか?僕はそうではないと思います。

僕は「ゲイ」であって「LGBTの人」ではない

 近年、LGBTもしくはLGBTQ+という言葉を目にするように

なりました。この言葉はとても便利である反面、とても危ない

一面も持っている言葉だと思います。

 今でこそ浸透してきたレズビアン、ゲイ、バイ、といった

言葉ですが、元々は差別的に使われていた言葉でもあります。

 僕も「ゲイ」という言葉の響きが苦手で、はじめのうちは

「ゲイなんだ」と言えずに、「男の人が好きなの」と、

ぼかしてカミングアウトをしていました。

 「もしかしてあっち系の人?」「あっちじゃなくてこっちだよ」、

というように日本では性の話を人前で堂々とすることを避けて、

腫れ物に触るかのように指示語やジェスチャーで指すことも多いです。

 そんな日本に、LGBTという魔法のような言葉が浸透していきました。

「LGBT」という言葉は、どこか学問的で公的に正しい言葉のような響きが

あります。それに、数え切れないほどの種類があるセクシャルマイノリティを

いちいち覚えなくても、「LGBTの人たち」で事足りてしまうんです。

 結果、LGBTがそれぞれどんなセクシャリティであるのかも理解しないまま、

ただ、「LGBT」という言葉だけが一人歩きすることになったのです。

言葉の力

 でも、それは悪いことばかりではないんです。もし1人1人が

ゲイです、バイセクシャルです、アセクシャルです、とハッキリ断言する

ようになったら、おそらくそれぞれのセクシャリティのグループが出来上がり、

今のようなLGBT間での交流もなくなるかもしれません。

 また、性自認は男性で、恋愛的指向は男性、性的指向も男性、と言わなくても

「私はゲイです」だけで理解してもらえることは、とても楽だと思います。

性格も体型も出身も学歴も、あらゆることが違う人であっても、ゲイという

たったひとつの共通点だけで、簡単に仲良くなれて、お互いを理解し合える、

ということは、素晴らしいことだと思います。

 それに「ノンセクシャル」という言葉があったからこそ、僕は自分の

セクシャリティがどういうものであって、こういう風に人と違うんだ、

ということを理解し、人に伝えられるようになりました。

言葉は良い意味でも悪い意味でも、他人との境を無くしてしまうんです。

「守破離」の精神

 日本の茶道、武道、芸術において古くから伝えられてきた教え「守破離」

というものがあります。まず真似ること、師匠の教えを守ること

から始めなさい。しだいに真似しようと思っても、できない部分が分かる。

そこで初めて教えを破り、自己流のやり方を模索しなさい。そして、

その中で、師匠の教えから離れて、自分の教えというものが生まれるのだ。

しかし、初心を忘れてはならない、というものです。

 この考え方は「自分らしさ」を考えるうえで大切な考えだと思います。

まずは基本、自分がどのようなひとなのかを分析する

次に当てはめ、自分とどのように異なっているのかを比較する

最後に決める、自分はこういう人だと分かる

 こうして自分らしさは見つかると思います。「自分らしさ」は

自分の中にあるのではなく、自分と誰かとの間にあるものです。

個性って?

 最近は、マニュアル通りに仕事をするのではなく、個性を発揮できる、

クリエイティブな人材が求められているそうです。この個性も

「自分らしさ」と似ていると思います。

 例えば、クラスで1番足が早い、絵がとても上手、字がきれい、のような

才能も個性の1つです。でも、世界中にはもっと足が速い人も、絵が上手な

人も、字がきれいな人もいるはずです。でも、その人たちは「クラスの中」

には存在していない人たちです。大切なのは、その「クラスの中」で

個性、才能を発揮することであって、世界中の誰が見ても認める才能は

必要ありません。学校中に、優しい人はいますが、その「クラスの中」で

優しさを発揮できた人は、「優しい人」という個性がもらえます。

 元気がある、笑顔がすてき、お金持ち、力が強い、眼鏡をかけている

歌が上手、勉強ができる、太っている、身長が高い、どんな些細なことでも、

あなたが今いる場所の中では「個性」になり得るのです。

でも、「個性」を「誰もが認める才能」と思い込んでしまうと、途端に

「自分らしさ」を見失ってしまいます。

 カミングアウトをするということも同じだと思います。世界を探せば、

どんなに珍しいセクシャリティでも、「個性」を失うでしょう。

でも、あなたの周りには同じセクシャリティの人はいないかもしれません。

そうすれば、あなたがセクシャルマイノリティであるということは、

ひとつの「個性」となり得るのです。でも、間違えてはいけないことは、

「自分らしさ」を生み出す「個性」は、たった1つではないということです。

 男である、眼鏡をかけている、よく赤い服を着ている、明るい性格、

20歳ぐらい、○○という会社で働いている、絵が上手、バイセクシャルである、

身長が高い、瘦せている、東京出身、今は大阪に住んでいる……

この無数の「個性」の組み合わせが「自分らしさ」だと思います。

 そして何よりも恐ろしいのは、この組み合わせの選択肢を狭めてしまう

ことだと思います。

 眼鏡かけているからきっと頭はいいだろう、東京出身は大阪の人よりも

冷たい人が多い気がする、LGBTのひとって芸術家気質のひと多いから

絵がうまいんでしょ、こういった思い込みや偏見が、選択肢を狭めてしまいます

東京出身の人、眼鏡をかけている人、LGBTの人のように、ひとまとめしてしまう

こともまた、それだけ危険なことだと思います。

「自分らしく生きることができる世界」その言葉の響きに騙されてはいけません。

だって、この世界に存在しているだけで「自分らしく」生きているんですから。