ゲイでノンセクシャル~人生の雨宿り~

雨ばかりの人生に、雨宿りができる場所を作りたい

「偏見」は無くならない?

 偏見という言葉を聞くと、マイナスのイメージが強いですよね。

偏見を持ってはいけない、偏見はなくさなければいけない、というように

偏見=悪と思いがちですが、実際に国語辞典で「偏見」と調べてみると、

かたよった見方・考え方。ある集団や個人に対して、客観的な根拠なしにいだかれる非好意的な先入観や判断。(デジタル大辞泉より)

とでできます。訓読みすると、「偏った見方」となるように、見解や考えが

先入観でゆがんでしまったり、誤ってしまったりすることを意味しているようです。

「客観的な根拠がない」ということは、「自分の中でそうだと思い込む」という

ことでしょう。「非好意的」と限定しているように、悪い意味で使うようです。

 ただ、英語では少しニュアンスが違うようで、英語で偏見を意味する

「bias」(バイアスとカタカナで使うこともありますね)を英英辞典で引くと、

an opinion about whether a person, group, or idea is good or bad that influences how you deal with it (ロングマン現代英英辞典より)

dealは契約(「車のディーラー」とかのディールですね)を意味していて、

deal withで困難なことに取り組む、対処する、といった意味があります。

大まかに訳してみると、「人、集団、考えが良いものか悪いものかどうかについての

一つの持論であり、それに対してどう対処するのかに影響するもの」となります。

「悪いもの」だけではなく「良いもの」に対しての偏見もあるようです。

また、判断自体も偏見であると言っていた国語辞典とは違って、偏見は

判断に作用するものであると言っています。判断から偏見を感じ取るのではなく、

偏見が判断に影響している、ということですね。(鶏が先か、卵が先か……)

 また、「bias」には

a natural skill or interest in one type of thing

という意味もあり、偏見というのは「natural」つまり自然なものであり、

しかも「skill」(技能)もしくは「interest」(関心)であると読み取れます。

国語辞典が「根拠なしに抱かれる」、「非好意的」と偏見を悪者扱いしていたのに

対して、偏見なんてあって当たり前、むしろ必要なものだ、とも読み取れます。

(英英辞典は本当にオススメです!)

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  社会学の用語には、「偏見」「先入観」「思い込み」など全般を表す

ステレオタイプ」という言葉があります。日本語では「固定観念」と

訳されることが多いです。

 例えば、童話や物語に出てくるオオカミというのは、大抵悪者として

描かれています。(赤ずきん、7ひきの子ヤギ、3匹のこぶたなど)

物語で出てくるオオカミは、ずる賢い、襲い掛かってくる凶暴な性格、のように

描かれていますが、実際のオオカミは警戒心が強いものの、一度なつくととても

穏やかな性格をしているそうです。アイヌの人たちのように、オオカミを神聖視

している地域もあるぐらいです。(「大神」がオオカミの語源という説もあります)

 では、なぜオオカミは悪者のように描かれるかというと、推測なのですが

ヨーロッパで放牧をしていた家畜をオオカミが襲うことがあったからだと思われます。

日本でも畑をあらすイノシシやシカを害獣のように見ることもありますが、

それと同じようにオオカミもヨーロッパの人からすると、害獣だったのでしょう。

 そのヨーロッパで描かれた「悪者のオオカミ」のイメージは、明治期に

入ってきた物語によって日本にも広がってしまったようです。

このように私たちは、見聞きした「情報」によって考え方やイメージを

知らないうちに生み出しているのです。

 「眼鏡をかけている人は、頭がいいけど運動神経が悪い」や「アメリカの人は

意見をズバズバ言う人が多く、イギリスの人は紳士的な人が多い」のような

「一見すると納得してしまいそうだけれど、冷静に考えるとみんながみんな

そういう訳ではないはずだ」というものがステレオタイプです。

(そういえば、眼鏡の人は頭がいいというのは、良いことに対する偏見ですね)

 実は「ピンクは女の子、水色は男の子」や「長男はしっかりしている、

長女は面倒見がいい」といったジェンダーもこのステレオタイプの一種なんです。

(ジェンダーの過去の記事はこちらから)

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 このステレオタイプというのは、便利な一面もあります。

例えば、アメリカ人という人たちを本当に理解しようとするならば、現地に赴いて

どんな人がいるのかを調査しなければなりません。(しかもたくさんの数を)

でも、「意見をズバッと言うひとが多い」(この場合日本と比べて、でしょうね)

という特徴を1つ作り出すだけで、こんな人あんな人と全てのアメリカ人を

把握していなくても、大まかな特徴で「アメリカ人」全てを捉えることが

できるのです。

 また、人には本能として「危険を事前に避ける」能力があります。

挙動不審な動きをしていたり、全身黒ずくめでマスクを付けていたり、

タトゥーをした大男がリムジンでやってきたりすれば、多くの人が怖いと

感じるでしょう。これは、過去の経験や知識を元に接触を避けたり、

危険を回避しようとしたりしているのです。

 そのため、ステレオタイプがなければ、話してみると怪しい人だった、

相手を警戒していなくて事件に巻き込まれた、となりかねないのです。

 ただ、ステレオタイプ自体がいいものかというとそうとは言えません。

「意見をズバッという」というステレオタイプによって、意見をズバッと言わない

アメリカ人は存在しないことになりますし、それ以外の特徴に目を向けて

もらえなくなってしまう恐れがあります。

 また、暴力団、ヤクザと呼ばれる人たちの中で、タトゥーをしている人が

比較的多い→タトゥーをしていてかつ怪しい人は危険だ、という思考の過程を

すっ飛ばして、「タトゥー=危険」という単純な丸暗記になってしまうと、

タトゥーをしている人全員が悪い人だと思い込んでしまうことになります。

 ステレオタイプというのは、良くも悪くも情報を単純にします。

インターネット、本、テレビ、マスメディア、様々なところで情報が溢れている

現代において、全ての情報を精査するのは不可能に近いでしょう。

そのため、一度見聞きしたこと、体験したことが世間の全ての事柄にも

当てはまると思い込み、それがステレオタイプとしてインプットされてしまうと

莫大な情報全てがゆがめられてしまうことになります。

 実際、LGBTについても情報が一人歩きしたステレオタイプが、山のように

存在します。LGBT当事者にとっては、人生に関わる重大な情報であっても、

そうでない人にとっては教科書の隅に書かれているような、覚えてなくても

生きていける情報としか見ていないかもしれません。どの情報が大事で、

どの情報が無駄かを判断するのは人それぞれです。

 また、「オオカミは家畜を荒らす害獣」と子供に言っても分からないと思いますが、

「オオカミは赤ずきんちゃんを食べようとしている」と物語にすることで、

「オオカミ=悪者」と伝わってしまいます。情報をどのように伝えるのか

また物事のどの部分を強調して伝えるのか、どの言語を用いるのかによっても

伝わり方は全然違います。しかも、発信者がどの様な人なのかによっても、情報の質や

価値が変わってしまいます。(学歴、普段の言動、実績、役職など)

 正直、「純粋な情報」というものは存在しないでしょう。少なからず個人の考え方や

発信者の影響、聞き手の受け取り方などでゆがめられていきます。

 だからこそ、偏見、ステレオタイプというのはなくすことはできないと思います。

偏見をなくすこと、それよりも偏見が存在していないかを常に意識すること、

偏見がある前提で物事を見つめること、のほうがずっと大事だと思います。

 「偏見を持ったつもりはありませんが……」ではなく「偏見があれば

申し訳ないのですが……」のほうが自然であり、真摯な態度だと思います。

 偏見があることに気付くためには、自分の中に知識や経験がないといけません。

その上で、その知識や経験が正しいのかを確認してようやく偏見が薄れていくのです。

ただ、それでも完全に消すことは出来ず、知らずのうちに偏見が生み出されて

しまいます。

 例えば、以前記事にもしたのですが、制服に賛成か反対かという問題に対して、

もしもトランスジェンダーの方が「制服は自由にしてほしい」と主張し、

シスジェンダー(体と心の性別が一致している人)の方が「制服は必要だ」と

主張した場合、多くの人はトランスジェンダーの方を応援したくなるでしょう。

僕のようなLGBTの当事者ならなおさらです。

 でも、シスジェンダーの方は、とても家が貧しく普段着を買うお金がないため、

子供が「同じ服ばっかり着ている」「服がつぎはぎだらけだ」といじめられないか

心配だから制服が必要と言っているとすればどうでしょう?

ここには「トランスジェンダーの方ばかりが制服に苦労をしている」という

ステレオタイプが存在していた可能性があるんです。

(制服の記事はこちらから)

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 世の中は1つの偏見を取り除いただけでは、物事の全貌が見えるようには残念ながら

なりません。正直、どんなに意識していても限界はあると思います。

だからこそ、人とのコミュニケーションが大切なんです。一人では見えなかった

視点で物事を知ることができる、対話のなかで自分に偏見があったことに気づける、

相手の立場、気持ちが理解できるようになる、もしくは何となく分かるようになる

かもしれません。そして、「情報」をどのように生かすのか、どのように扱うのか

という「情報リテラシー(情報の正しい処理能力)を日々養っていくことが

大切だと思います。

 この記事を書いたあまやどりというやつは、ゲイでノンセクシャルらしいが

本当にそうなのか?そもそもあまやどりってどんなやつなんだ?

ステレオタイプなんて言葉を使っていたが、本当に存在するのか?

意味は本当に合っているのか?ネットに書いてある情報と本に書いてある情報

どっちが正しいんだ?国語辞典を引いてみたが、外国語の辞書ならどう書いている?

 こんな風に、自分が調べたこと、分かったことだけを信じて、後の情報は

鵜吞みにせず参考程度にする、みたいに自分なりのルールを作っておくのも

いいかもしれません。(自分で調べたり、手に入れた情報はとても記憶に残ります)

 偉そうにこの記事を書いてはいますが、この記事や以前の記事にも偏見や

ステレオタイプ、僕によってゆがめられた情報がたくさんあると思います。

(一応、誤解がないように伝える最大限の努力はしているつもりです)

そのことを知ったうえで読むのと、知らずに読むのでは、また違った印象に

なるかと思います。良かったら僕の過去の記事、他の方の記事も読んでみてください。