ゲイでノンセクシャル~人生の雨宿り~

雨ばかりの人生に、雨宿りができる場所を作りたい

マイノリティ=弱者とは限らない?

 「マイノリティ」と聞くと、少数派の弱者というイメージがあると思いますが、

よくよく考えると、必ずしもそうとは限りません。

 例えば、会社の社長は、世間では人数が少ない「マイノリティ」であることは

間違いありません。選挙で選ばれた国会議員や、年収1000万を超えるエリート

東大などの難関大学に合格する天才たちも、みんな「マイノリティ」なのです。

 ただ、「マイノリティ」という響きのせいもあってか、セクシャルマイノリティ、

障害者、持病を持っている人、ホームレス、被差別部落の人などといった

いわゆる「社会的弱者」を連想させます。自分自身がマイノリティである場合、

社長やお金持ちの人も「マイノリティ」であることを忘れがちです。

 というのも民主主義という制度をとっている以上、世間の多くの物事は「多数決

によって決められます。日本の場合は、選挙によって代表者を選んで、その代表者が

政治や自治を行うという「間接民主制」が採用されています。

 また、マスメディアや世論といったもので形作られる、「国民の意見」というものも

多数派が有力になりがちです。そのため、基本的に「マイノリティ」は

「マジョリティ」には逆らいにくいのが現状なのです。しかもマジョリティによって

選ばれた議員(マジョリティ側の人)が、マイノリティの立場に立って支援する、

ということは基本的に考えにくいのです。

 例えば、学年で文化祭の出し物を決めるとします。決め方は、各クラスで意見を

出し合って、ある程度まとめたものを、各クラスの代表者たちが持ち寄って

話し合うとしましょう。(この場合間接民主制です)

 クラスで「出店をだす」が20票、「お化け屋敷」が10票、「ミュージカル」が

5票だったとします。この状況だと、このクラス全体としての意見は「出店をだす」に

決まりそうですね。でも、他のクラスが「合唱コンクール」や「ダンス大会」などの

別の意見も出してくるかもしれません。ならば、このクラスの「出店を出す」という

意見を通すために、「出店を出す」と答えた人を代表者にしたほうが、熱意が伝わり

そうですよね?少なくとも「出店は嫌だ」という人は代表には選ばれないでしょう。

 さらに、選ばれた代表者は「出店を出す」というクラスの総意のために働かなければ

なりません。「僕はミュージカル派だから」とか「あの子のためにお化け屋敷に

してあげよう」といった代表者自らの意思は、含めてはならないのです。

 つまり、間接民主制においてはマジョリティが代表になりやすく、マジョリティの

ために代表者は働こうとするのです。マジョリティの代表者に向かって、マイノリティ

の配慮を求めても、ほとんど耳に届かないのです。

 ただ、それではマイノリティの人たちが困ってしまいます。そのために

少数意見の尊重」をしてあげなければいけないのです。文化祭の出し物ぐらいなら

問題がないかもしれませんが、それが国や地方の政治となると話が変わってきます。

国や地方の政策一つで、生活が脅かされたり、大きな不利益を受けたりするのです。

 例えば、ダムの建築を都市部の人が賛成していても、現地の人が反対している場合、

多数決で言えば都市部の人たちが多いはずです。「最大多数の最大幸福」という

ベンサムの言葉に従って、すぐさまダムの建築を進めていいわけではありません。

(ちなみにベンサムは功利主義の哲学者で有名です。もっと詳しく言えば、ベンサムは

量的功利主義であり、「快楽計算」という方法で幸福や利益をはかれるとしました

ダムが建設されれば、現地の人は立ち退きを命じられたり、自然環境に影響を

受けたりします。先祖代々受け継いだ土地、ここでしか取れないブランド野菜など、

お金では代えがたい価値があることもあるのです。(こういったこういったものを

重視するのが質的功利主義で、代表として「満足した豚よりも、不満足なソクラテス

である方がいい」という言葉で有名なJ.S.ミルがいます)そういう場合は、少数意見を

見直す、別の対策手段を設ける、といった配慮が必要になるのです。

 ただ、恐ろしいことに「弱者」に対してしか、この配慮がなされないことが

多々あるのです。例えば、「お金持ちなんだからもっと税金とっても

いいんじゃない?」とか「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」みたいな

「強者のマイノリティ」への理不尽な差別を受け入れていませんか?

 お金持ちほど多く納税するべき、というのは一見正しいことに思えますが、

お金持ちの人からすれば、きちんと納めるべき税を納めているはずなのに、

どうして人より余分に納めないといけないのか?むしろ国の経済に貢献しているの

だから差し引かれてもいいんじゃないの?と思うはずです。

 またお兄ちゃんであろうと、弟であろうと子供であることには変わりありません。

しかも今までは親の愛情を一人で受けていたのに、弟が産まれた途端に

「お兄ちゃんだから」と突き放すのは、あまりにも理不尽ではないでしょうか?

弟のことを嫌いになったり、親に反抗したりしても文句は言えないと思います。

 日本人には「判官贔屓」といって弱者を応援したくなる精神があります。

(判官は源頼朝の弟である源義経のことです)その一方で、「一億総中流」という

言葉が浸透したように、みな弱者でも強者でもない「平民」であろうとします。

(「一億総中流」は1970’sの高度経済成長期に浸透した言葉です)

その精神によって「平民」というマジョリティを作り出すことで、権力者という

「マイノリティ」を抑制して、弱者という「マイノリティ」に手を差し伸べよう

してきたのでしょう。「光と闇」に分ける西洋と違って、東洋では「陰と陽」は

一体であるのです。「マジョリティ」も「マイノリティ」も一つの社会に取り込まれて

いる姿こそ、日本の本来の姿だと思います。聖徳太子(厩戸王)による憲法十七条の

和を以て貴しとなす」という言葉は、あながち間違っていないと思います。

 ただ、「選挙に行かない」がマジョリティとなりつつある今、その「平民」による

マジョリティは効力を失いつつあります。選挙にいく「マイノリティ」によって

選ばれた代表が、選挙に行かない「マジョリティ」のために働いているのです。

 文化祭の例に当てはめると、ミュージカル派の人が自分の意見を押し殺して

「出店を出す」ことをクラスのためにプレゼンする。でも出店を出す派の人たちは、

全然話し合いに協力してくれない。ならば、ミュージックを推しても誰も文句は

言えないだろう。でも、クラスの人たちは「出店を出す」以外を推そうとすると

反発する。でも話し合いには協力してくれないし、「出店を出す」派の人自らが

プレゼンをしようともしない。

 これと同じようなことが、国単位で起こっているような気がしてなりません。

話が長くなりましたが、

  • 見せかけのマジョリティ、マイノリティに騙されてはいけない
  • マジョリティ=強者、マイノリティ=弱者ではない
  • 民主主義のこの世界において、多数決によるマジョリティの優位が存在する
  • 少数意見の尊重は、強者のマイノリティには施されにくい

この辺が伝わってくれれば嬉しく思います。「マイノリティ」である人こそ、

マイノリティ=弱者と思い込まないことが大切だと思います。