ゲイでノンセクシャル~人生の雨宿り~

雨ばかりの人生に、雨宿りができる場所を作りたい

LGBT成人式は最先端?

 今日は「成人の日」ですね。僕も今年成人式に参加してきました。

(その時のことはまた後日記事にしたいと思っています)

成人式と言えば女子は振袖もしくはきれいなドレス、男子は袴もしくは

スーツを着て参加しますね。女子はほとんどが振袖なのに対して男子はほとんどが

スーツだったのが、性格が出ているような気がして面白いですね。

(案外ヤンキーやチャラ男みたいな人が袴をしっかり着ているのがまた面白い)

 しかし、男女で着るものが違うということは制服と同じように、

着たい服を着られないというジェンダーの問題につながります。

(詳しくは以下の記事で)

www.life-amayadori.com

 しかし、成人式は人生に一回の大切な節目であり、それを我慢するのは

つらいですよね。そんな人たちのために最近は「LGBT成人式」というものが

各地で開催されるようになりました。

 ただ、LGBT成人式は本当に「LGBT」である必要があるのかが少し疑問です。

というのも服に関しては、「T」のトランスジェンダーの方がメインであって、

その他の「LGB」に関しては、性自認に合った服を着ればよいのです。

そこで、わざわざ「LGBT」と名を掲げる意味を考えてみました。

 まず、過去に「LGBTQ」またその他のセクシャリティであることを

いじめられたり、からかわれたりしたことがある場合です。

成人式ではだいたい中学校や小学校の人たちと一緒に出席しますよね。

となると、どうしても会いたくない人や思い出したくない人もいるかもしれません。

それがセクシャリティに関するいじめともなると、やっぱり成人式に行きたく

なくなるかもしれません。

 また、成人式といえば、だいたい同窓会も一緒になっていて、久しぶりに会う

友達と近況報告や、過去の思い出を語り合いますよね。となると、どうしても恋バナを

聞く機会、聞かれる機会も増えてしまいます。周りが男女の恋愛の話をしている中で、

孤立感や嫌悪感を感じてしまう人も少なくないと思います。

 また、仲がいい友達にだけカミングアウトをしているという場合、ほかの人に

カミングアウトをするのか迷ってしまいます。ごまかせばカミングアウトをしている

友達に噓をついているところを見られてしまいますし、なんなら友達の発言から

アウティングにつながる可能性もあります。誰にもカミングアウトをしていない

場合も、無理やり言わされそうになったり、隠そうとして気疲れしたり、

同窓会を楽しめないことも多いです。

 そのようなセクシャリティに関するわずらわしさを気にしなくていい点で、

「LGBT」と名を掲げる意味はあるのかなと思います。ただ、LGBTだけでなくとも

同じような悩みを抱えている人は少なくないと思います。誰だっていじめられていた

人と再会したくありませんし、変わった今の自分の姿と、昔の自分の姿を

比べてほしくないと思う人も多いと思います。ただ、「LGBT」以外の人も

参加できるようにしてしまうと、アウティングや消極的カミングアウトに

繋がってしまうこともあるでしょう。ある意味「LGBT」という名前は

ブランドのような安心感があるのかもしれません。

 ただ、僕としてはそもそも今の成人式って意味があるのかな?と思います。

成人式は成人したことを祝うというよりも、晴れ姿を見せたい、昔の友達と会いたい

という一種のお祭りに過ぎないのかなと思います。(冠婚葬祭というぐらいですし)

もちろん親やかつての恩師としては、成人式を迎えることで節目とすることが

できますし、「大人になった」と感じるかもしれません。ただ、子供としては、

とっくに大人になっていたつもりですし、成人式に出席した途端に

「大人の仲間入りなのか」としみじみすることもなく「酒が飲めるぜ」ぐらいの

感覚だと思います。

 そのため成人式は、「大人たちが子供の成長を喜ぶため」であって

子供が自分自身のために行う意義が薄いのかなと感じました。

特にLGBTの人は、LGBTであることを「親不孝」だと感じる人も多いと思います。

そんな中、成人式という「親孝行」のための式典というのは、当事者にとって

辛いものがあると思います。(実際、僕もそう感じました)

成人式を境に、「彼女は?彼氏は?結婚は?子供は?孫は?」と聞かれることも

増えてくるような気もします。

 そう考えると「LGBT成人式」というのは、親のためではなく自分のために行う

式典であり、親元から離れた開放感というものがあると思います。

誤解を恐れずに言えば、「親のことを考えず、自分が生きたいように生きる」という

決意表明みたいなものかなと思います。

 もちろん本来の成人式とLGBT成人式の両方に出ることで、親孝行しながら

自分のしたかった成人式にすることもできると思います。そうなれば、LGBTに限らず

自分たちのための成人式」というものが広まっていけばいいのかなと思います。

成人式と同窓会を別々にするのではなく、同窓会のメンバーで各々成人式を

するのも素敵だと思います。そうすれば、自分でメンバーを決めることができますし、

わざわざ成人の日に合わせずとも、予定が合う日に行うことができると思います。

 どうしても市長のあいさつや、恩師のお言葉を聞きたいなら、それ専用の日を

設ければよいのです。(それこそ従来の成人式のようにすればいいと思います)

別にスーツや振袖を着なくとも、会場がホールみたいに広くなくとも、

本人たちが成人式だと思えば成人式だと思います。

 こんなことを言うと「伝統を受け継ぎなさい」と言われそうですが、

今を作っているのは僕たちであって、あれこれ口を出してくる大人ではないのです。

「現場のことは現場に任せる」精神じゃないですが、今を生きる人にバトンを

渡して欲しいと思います。「君たちはもう大人だ、責任感を持て」と言っているのに、

「若者が口出しするな、伝統に従え」というのは、おかしいんじゃないでしょうか?

 僕としては、「伝統」という綺麗ごとによって、変わることを恐れる、

面倒くさがっていることを覆い隠しているように思えます。大切なのは「形式」

ではなく「実質」です。受け継ぐべき「伝統」は、式典の形式なんかではなく、

式典を通じて得られる精神であるべきです。

「成人したことを喜び、かつての友達と再会し、親や恩師に成長した姿を見せる」

これさえあれば十分成人式なのではないでしょうか? 

 といっても僕の成人式はもう終わってしまったので、成人式に関しては、

「今を生きる人」ではなくなってしまいましたね。ただ、これから

「LGBT成人式」のような、新たな形の成人式が現れて、僕のように

嫌々出席しなくていいようになると嬉しいですね。