ゲイでノンセクシャル~人生の雨宿り~

雨ばかりの人生に、雨宿りができる場所を作りたい

実際にあった怖かった体験

 僕は、先日とても怖い体験をしました。というのも電車で知らない男の人と、

1時間ほど肩や膝がぴったりくっついたままだったということです。

 

……えったったそれだけと思われる方もいらっしゃると思いますが、僕にとって

恐怖でしかありませんでした。

 

 まず、ブログの中で何度も言っていますが、僕はゲイであり、ノンセクシャルです。

詳しくは以下の記事に書いているのですが、僕のなかでは「キスがゴール」であって

手をつないだり、ボディタッチをされるのはノンセクシャルとしては割と

大丈夫な方だと思います。

(人それぞれですが、体が触れることが嫌だと感じる人もいます)

www.life-amayadori.com

 ただ、「キスがゴール」である以上、他の人に比べてボディタッチのハードルが

高いことは事実だと思います。実際に知らない人に体を触られるのは、

体が拒絶するかのように、ビクッとしたり、ぞわぞわしたりします。

(耳元に息を吹きかけられたり、背中の中に虫が入ったりするような感覚です)

 ただ、自分と同級生もしくは自分より年下の男子や、女子全般については、

大人の男性に比べて、拒絶反応が弱いと感じます。実際この恐怖体験をする

1週間前には、男子高校生と電車で肩が触れていましたが、怖いとは感じません

でした。(むしろドキドキして幸せだったり……)その後女の人とも肩が触れたり

しましたが、特に何もありませんでした。

 このことから僕は大人の男性に対して何らかの偏見があるんだと気づきました。

おそらく、「男性=性的に対象になり得る(ゲイとしての視点から)」と

「もしも性的に迫られたらどうしよう、負けてしまう(ノンセクシャルの視点から)

という意識が無意識に合わさってしまっていると思います。

 ただ、普段の生活でも大人の男性に触れることはよくあります。バスの中や

狭い店内、なんならトイレで隣り合って肩が触れることだってあります。

 そこで、今回怖いと感じた理由として考えられるものをざっと挙げてみました。

・僕が窓際に座っていて 、通路側に座られたことで身動きが取れず、

かつ逃げ道をふさがれてしまったこと

 

・その男の人は大柄であり、鼻が詰まっていたのか呼吸が荒く、

ときおり苦しそうに「ウウッ」とうなっていたこと

 

・直前までLGBTに関する本を読んでいて、自分がゲイである意識が普段

より強まっていた可能性があること

 

・その日の前日が同窓会で、二日酔いをしており、体調がすぐれなかったこと

 

 ・同窓会などで、恋バナやのろけ話を聞かされたことで、セクシャリティ

の違いについて現実を突きつけられて、気が滅入っていたこと

 

・電車に乗ったのが夕方で辺りが真っ暗になっていたこと

 

・その日は、同窓会のために朝早く起きており、また夕方ということも

 あって疲れていたこと

 

・とても電車が込み合っており、また近くに大声で下ネタを話す

 成人式帰りと思われる男子グループがいたこと

 

・カミングアウトに関して苦い過去があり、大人の男の人に対して

 トラウマが少なからず存在するということ(詳しくは以下の記事で)

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 考えられるだけ挙げてみましたが、原因はこの全てだと思います。

普段なら何気ないことであっても、疲れている時はうまく判断できないことも

多いです。その時の僕の体の状態や、周囲の環境によって必要以上に神経が

とがっていたのだと思います。

 その時の僕は「もしも」ばかりが頭に浮かんできて、「もしも体を触られたら

どうしよう」「もしも降りるときに腕をつかまれたらどうしよう」という

「もしも」ばかりが頭をよぎっていました。その「もしも」に対して何もすることが

できず、ただただ時が流れるのを願い続ける恐怖に支配されていました。

追記:一部記事の内容を訂正させていただきました詳しくは以下の記事へ

www.life-amayadori.com

 ただ肩と膝が触れているだけ、それだけで普段感じないような恐怖と不快感と

焦燥感が体から湧き上がってきたのです。でも頭の中には、「自分は今、偏見を

向けてしまっている」という罪悪感もありました。普段あれだけ偏見を減らして

平等に接するように心がけようと思っているのに、いざ生身の人を前にすると

体が言うことを聞いてくれなくなる、というちぐはぐさに悔しさを感じました。

 そうして1時間の間に、積み重なる負の感情というものは、抑えきれないほどに

膨れ上がっていました。「くしゃみをしたら目立つからダメだ」「のどが渇いた

けれど動かない方がいいだろう」「体制を変えたいけれど、避けたと思われると大変」

みたいに訳の分からないことばかり考えていました。

 そして、目的の駅について、電車から降りた途端に「はっ」と我に返ったかの

ように不快感や焦燥感がなくなっていきました。身動きが取れるようになったことと、

外の冷たい新鮮な空気を吸えたことが大きかったのだと思います。

 たまたま隣に座った男の人、その人は何もしていないのに僕のせいで勝手に、

恐怖の対象に仕立て上げられてしまいました。おそらく世の中の痴漢の冤罪と

いうものは、「その日とても疲れていた」とか「友達が結婚した」とか

そういった小さなわだかまりが積み重なって起こるのだと思います。

「めぐりあわせが悪かった」で済ませていいものではないと思いますが、

心に余裕がない時ほど、あらゆることに気を付けるのは大切だと痛感しました。

 もちろんこれは僕がゲイであり、ノンセクシャルであるからこそ感じたことだと

思います。ただ、ゲイでありノンセクシャルである人が、同じように感じるわけでは

ないと思います。今回記事にしましたが「この恐怖を理解して欲しい」というつもりは

微塵もなく、ただこういう考えや感性の人もいるんだ、という1つの意見として

見ていただければと思います。