ゲイでノンセクシャル~人生の雨宿り~

雨ばかりの人生に、雨宿りができる場所を作りたい

正義って何だろう

 現在の日本には「軽減税率」なる、ありがた迷惑な制度がありますね。

イートインなら10%、テイクアウトなら8%の消費税を適用するという

仕組みであり、コンビニをテイクアウトと偽ってイートインする人を摘発する

いわゆる「正義」を貫き通す人が現れました。些細な悪であっても悪は悪であり、

許されることはないんだ、というこの考え方は果たして「正義」と言えるの

でしょうか?

 小学校の高学年にもなってくると、いたずらをしたり、ルールを守らない子供が

ちらほら出てきますね。その「悪」を先生に言う(いわゆるチクるってやつです)

ことで「正義」を貫き通す子供がたまにいます。僕もその一人でしたが、

こういう子供はたいてい周りからいじめられます。それは、大人の世界から

見れば「正義」であることも、子供の世界の中では嫌われる「悪」であるからです。

 例えば「5時には家に帰らなければならない」というルールがあるとします。

「5時になったから帰らないといけないんだよ」という子供は、確かに「正義」

であると思います。

 そもそも5時になったら帰らなければいけないというルールは、「暗くなってから

帰るのは危ないから」「規則正しい生活を損なわないため」といった子供を守る

ために作られたのだと思います。ルールの本質から見ても、この子供は「正義」

なのです。(ルールや法律の詳しい解釈の仕方はこちらからどうぞ)

www.life-amayadori.com

 でも、他の子供たちにとっては、「もっと遊びたい」「親に見つからなければ

いいだろう」という気持ちがあり、「家に帰らないと」と言った子供の行動は、

自分たちを邪魔する「悪」でしかないのです。だからこそ、その「悪」を

排除しないといけない、周りのみんなもそう思っているのだから、と考えて

「悪」を排除する「正義」を行使する=いじめる、となるのです。

正義と悪というのは、視点が変われば簡単に裏返ってしまうのです。

 また、厄介なことに自分を根っからの「悪」であると考える人はいないという

ことですね。家に帰ろうという子供をいじめることは、傍から見れば「悪」の

ように見えますが、本人たちは自分たちの「まだ遊びたい」「みんながそう思って

いる」という意思を守るためという「正義」なのです。いじめたくていじめたという

絶対的な「悪」とは違った問題点がありますね。

 僕は「正義=その世界でより多くの人が正しいと信じていること」であり、

「正義=その世界において最も強い者の意見」であると考えます。

 先ほどの例で考えると、もしもその公園が子供たちだけだったら「遊びたい」が

多数派になって、5時になったら帰るといった子供が「悪」に仕立て上げられます。

相手を「悪」にすることによって、自分たちを相対的に「正義」になるのです。

 ただ、「遊びたい」が多数派であっても、ドラえもんのジャイアンのような

リーダー的存在、圧倒的な強者が「帰れ」と言えば、あっさりと覆ってしまいます。

「正義」というものは、「悪」を制圧する力がなければ「正義」ではないのです。

 一方、親と一緒に公園で遊んでいるならば、5時になったら帰るという意見は

「正義」なのです。たとえ子供たちの中で「遊びたい」が多数決で勝っていても、

大人という絶対的強者がいる限り、子供は逆らえないのです。

 気を付けなければならないことは、「正義=強者」「悪=弱者」ではありません。

確かに「正義」には力がなければなりません。でも力があることが「正義」では

ないのです。

 例えば、戦争をしている時代では、相手の軍の兵隊を殺すことは名誉であり、

たくさん殺せば英雄と呼ばれます。でも、今の世の中で人を殺せば犯罪であり、

たくさん殺せば絶対的な「悪」であるとみなされるでしょう。

 人を殺す力を持っていることは、おそらく強者であることは間違いありません。

でもその力をどのように用いるのか、また用いるとどうなるのかが異なれば、

結果は正反対になり得るのです。だからこそ、正義の名を被った悪というものは

どこまでも恐ろしいのです。戦争による人殺し、白人至上主義、ナチスによる

政策、戦前の日本軍の行為、これらはまさしく「正義」をまとった「悪」であると

思います。(客観的に見ればそう見えるというだけで、批判ではありません)

人は「正義」のためならば、命をも賭してしまうからですね。

 「正義」と「正義」がぶつかり合った時、争いというものが起こります。

絶対的な「悪」は、「正義」によって打ち倒されればよいのですが、

どちらも「正義」だったら、どちらが「悪」ということを決められないからですね。

 戦隊ヒーローや仮面ライダー、プリキュアなどが人気なのは、絶対的な「悪」と

「正義」が存在していて分かりやすく、また「正義」が「悪」によって

どこまでも引き立てられているからですね。「正義」には夢があるのです。

 その点、アンパンマンは「バイキンマン=悪」と言い切れない部分が

ありますね。ドラえもんのジャイアンも「悪」とは言い切れません。

むしろバイキンマンもジャイアンも、映画になるとどこまでも正義のように見えます。

だからこそ、あの優しくてほのぼのとした世界観があるのでしょう。

「正義」が必ず勝つというストーリーでは表せない、ドキドキ感や夢の世界を表現して

いるのかも知れませんね。

 「正義と悪」、なんだか哲学的になってしまいましたが、一つ言えるのは

人間である以上絶対的な「悪」が存在しないように、絶対的な「正義」

存在しません。絶対的に思える「正義」というのは、だいたい圧倒的な力によって

有無を言わせないようにしているだけなのです。ある意味宗教に近い何かを感じます。

 だからこそ「自分の行いは正しい」と感じる時こそ、相手にとって「悪」では

ないのか、ということを考えるべきなのです。人は自分が悪であることを

認めたがりません。だからこそ、常に正しいと思い込んでしまいます。

 子どもを叱ることは、子どもにとって「悪」に思われても、将来を見てみれば

「正義」になります。逆に甘やかせば、その地点では穏便に済ませることが出来る

「正義」であっても、将来的には「悪影響」を与えるかもしれません。

目先の「正義」や「悪」にとらわれず、本質的に「悪」なのか「正義」

なのかを考えることが出来れば、きっと世界はもっと良くなると思います。

 最初の話に戻ると、「テイクアウトと偽ったイートインを摘発する」という

「正義」は、お互いに不快な気持ちを残し、それを周りの人にもばらまき、

忙しい警察や弁護士の手をも煩わせ、そのお店に風評被害を与えます。

数十円の税金を見逃さないようにするために、何十万の損害を見逃しても良いの

でしょうか?そう考えた時に果たしてこれは「正義」と言えるのでしょうか?