ゲイでノンセクシャル~人生の雨宿り~

雨ばかりの人生に、雨宿りができる場所を作りたい

人生初の結婚式に参加しました

 先月、部活動の演奏の依頼を受けて、初めて生の結婚式というものに参加させて

いただきました。結婚については学問的に記事にしたことがあり、大きく分けて

・持ち家、親権、財産、苗字などを共有で所持することができる
・共通の名義を使うことが出来るようになる(高額のローンが組みやすい)
・公的機関で婚姻関係を認めてもらえる(病院の立会い、住民票、相続など)
・社会的に婚姻関係を認めてもらえる(結婚のご祝儀、育休、家族割など)

という効力があります。(詳しくは以下の記事で)

www.life-amayadori.com

 ただ、実際に結婚式に参加させていただいて、色々と感じたことや、

学問的にはとらえきれないものがたくさんあったので、紹介したいと思います。

 まず、最初に感じたことは「とても素敵」ということです。

結婚式場自体もそうですが、参列者の衣装、置いてあるお花、出てくる料理、

式の演出、式場のスタッフの機敏な動き、僕たちのような演奏をする人、

様々なところで、豪華さと特別感を感じ、一生に一度の思い出にふさわしい

式だと感じました。僕たちは、今回結婚された方と特段つながりがあるわけでも

なかったので、正直自分たちが参加していいの?と思うこともありました。

ただ、そんな豪華な結婚式に微力ながら花を添えさせていただくということで、

普段の演奏よりも気合を入れて吹かせていただきました。

(決して普段は手を抜いているわけではありませんよ)

  次に感じたことは「ウエディングドレスとスーツが綺麗」ということです。

僕は初めて、生でウエディングドレスとウエディングスーツを見ました。

想像していた何倍も素敵で、あれだけ結婚に興味がなかった僕が、結婚式して

みたいなという興味が出てきたぐらいです。「一生に一度は着てみたいな」

そう思わせる魔法の力が、ウエディングドレスとスーツにはあるのでしょうね。

みんなはドレスの方ばかり注目していましたが、僕としては真っ白なスーツの

カッコよさが印象に残っています。僕がゲイだからでしょうか?

(それでもドレスの豪華さには見劣りしてしまいがちですけどね)

 ただ、残念ながら結婚式で感じたことはいいことばかりでもありません。

式が進行していくうちに、結婚という「制度」を強く感じました。

 結婚をするからには、両方の親族の方が集まりますね。親族の方の挨拶を聞いて

いると、やはり「娘さんをお願いします」「新郎にはもったいないお嫁さんです」

という親族間でのやり取りが垣間見えてきました。結婚によって、見ず知らずの

2つの親族が親戚になるわけですから、仕方ないとは思いますが、どうしても

お互いの子供を「受け渡し」しているように感じてしまいました。

 また、結婚された方の会社の人も参列されていたのですが、「結婚を機に、

仕事の方にもより勢いがつくことでしょうし、今後は中堅社員としてますますの

活躍を期待しております」という言葉がとても引っかかったのです。

この言葉からは、「結婚すれば仕事にも集中できる」「結婚したのだから一人前」

という価値観の押し付けを感じます。

 正直、僕としては「結婚したから仕事にも精がでる」という感覚が分からないです。

家族を養うため?愛する人がいるから?家事をどちらか一方に押し付けることが

できるから?はたまた仕事を頑張っている人は、みな結婚しているという経験則?

どちらにしても、結婚と仕事は本来別ものであるにも関わらず、会社側が無理やり

結び付けて、利用しているように思えてしまいました。

 また「結婚したら一人前」というのは「結婚という晴れ姿を親に見せてあげた」

というきれいごとに隠された、「子供を産んでくれるありがたい存在」という意味が

あるのではないでしょうか?

 かつて高度経済成長期には、「金の卵」と呼ばれる若者が活躍をしていました。

現在会社の上司にあたる人たちは、その高度経済成長期に活躍した人、あるいは

その世代の人からノウハウを直接教わってきた人たちです。となると、

こころのどこかで「経済を成長させることが日本という社会をよくする」という

考えがあって、そこから「子供という未来の労働者を増やしてほしい」という

発想になったのだと思います。

 同性愛を「生産性がない」と否定する人は、この「子供=未来の労働者」という

意識がどこかに根付いているのだと思います。結婚が人生の節目であることは

間違いないのですが、それが社会として一人前であることとは、また別の問題である

と思います。

 結婚はしたけど子供を産まない夫婦は一人前なの?そもそも結婚式を挙げなかった

夫婦は一人前なの?さっき一人前と認めた夫婦がもしも離婚したら、やっぱりあの

夫婦はダメだったと言ってしまうの?一人前って案外脆い言葉ですね。

 結婚の役割の1つである「社会的に婚姻関係を認めてもらう」ということは、

言い換えれば「社会が家族と繋がる」ことであり、家族に対して会社の人や

近所の人たちが口を出したり、社会が家族に求める役割を押し付けたりすることも

認めてしまうことになります。

 「孫の顔がみたい」という親の言葉は、親が社会の意思を代弁してあげているだけの

ように思えるのです。結局、結婚した夫婦に対して「子供」という存在を、社会は

あの手この手で求めているのでしょう。

 これらに付きまとうことと言えば、あるあるですが「ゲイである僕はどうなんだ」

ということです。今回の結婚式は男女の夫婦の結婚式です。最近は同性で結婚式を

挙げるという話もちらほら聞くようにはなりましたが、上に書いたような

結婚という「制度」が付きまとってくるので、なかなか難しいのかなとは思います。

 僕も最初はやっぱり「結婚って男女だよね」と感じていました。幸せそうな姿、

それを当たり前のように祝福する参列者、いつか結婚したいと話に花を咲かせる

部活の仲間、どこまでも僕は孤りであるように感じました。

(精神的に孤立するという意味では「独り」ではなく「孤り」と表記することを

スピッツの「春の歌」で知りました)

 でも式が進んでいくうちに、そんなことはどうでもよくなっていき、単純にこの

夫婦の幸せを願いたい、そのために僕はここに来て演奏をするんだと思えるように

なりました。

 この感情の変化は、「最初は同性で付き合うって変だと思ったけれど、

2人が幸せならそれでいいと思うし、私は応援するよ」という

アライ(セクシャルマイノリティを応援する人のこと)の方に似ている感情だと

思いました。そして、僕の中にはホモフォビアと同じように「ヘテロフォビア

なるものがあるのではないかと気づいたのです。

(ホモフォビアについては以下の記事で)

www.life-amayadori.com

 ホモフォビアが同性愛嫌悪であるならば、ヘテロフォビアは異性愛嫌悪です。

(ホモは同じ、ヘテロは異なるという意味があるので、必ずしも性的指向を

指した言葉とは限りません。なんなら差別という存在は、ヘテロフォビアでしょう)

普段聞きなれないうえに、異性愛を嫌うなんてそうそうないと思われがちですが、

「妻が妊娠した途端に、妻が女性ではない何かになったような気がした」

「過去に女性に対してトラウマがあるので、女性と話すのは苦手だ」

「バイセクシャルだったけれど、やっぱり僕はゲイだったのかもしれない」

みたいに、探してみると案外出てくるものだと思います。

 「結婚は男女でするもの→同性婚は変」というように「僕はゲイだ→男女の結婚に

抵抗を感じる」と、自らの価値観に合わないものを無理やり枠にはめようとしていた

のかもしれません。まさにホモフォビアと同じだったのです。

 「愛し合う人たちに性別なんて関係ない」という言葉をそっくりそのまま返された

気分でした。ゲイを認めてもらうには、まずは自分自身が男女の恋愛を受け入れる

必要があると強く感じました。気付かないうちに、同性愛|異性愛という壁を

厚くしていたことに反省しています。

 今回、結婚式に参加させていただいて本当にたくさんのことを学びました。

演奏をさせていただいて本当にありがとうございました。音楽という世界には、

本当に国境も、あらゆる壁も、血のつながりも、面識すらも何一つ必要ではなく、

ただ音楽を求める人に音を届けるという、僕たち人間が目指すべき世界が存在すると

改めて感じました。そして、また機会があれば結婚式に参加したいと思いました。

(できることなら自分でも結婚式をしてみたい……せめてスーツだけでも……)