ゲイでノンセクシャル~人生の雨宿り~

雨ばかりの人生に、雨宿りができる場所を作りたい

一人でいること=自由なのか?

 僕は、自由であることがとても好きです。だから大人数でいるよりも1人でいる方が

好きだ、最近までずっとそう思っていました。でも本当は、そうじゃないのかも

と思えてきました。

 というのも、小さい頃の僕はとても社交的だったし、だからこそ、大人数で

ワイワイしている時に、童心に帰るような感覚を感じる時があります。

その瞬間だけは今の自分よりもずっと自由で、なにも取り繕うこともなく、

本来の自分を取り戻したような感覚になります。

(最近気づいたのはトランプをした時でした。本当に何気ないことですが)

 だから、僕が頑なに一人でいようとするのは、過去のトラウマや経験から

臆病になってしまい、自分自身を縛り付けているからなのかもしれないと思いました。

詳しくは以下の記事でも書いていますが、中学校から僕の性格が激変しました。

www.life-amayadori.com

 今までは男女関係なく仲良くしていたのに、中学校に入ったとたんに区別される。

女子と仲良くすれば付き合っているとからかわれ、男子と仲良くしてもホモじゃ

ないのとからかわれる。次第に友達というものが怖くなっていたのかもしれません。

 また、中学の頃の僕は、恋愛とか一切分からなかった人なので、仲良かった友達と

どんどん仲良くなろうとしていました。僕の中では永遠に友情が続いていて

友情の先に恋愛があるとは微塵も思っていませんでした。親友みたいな関係に

憧れていたこともあり、今思えばなかなかに重たいやつでしたね。

 もちろん相手には恋愛という存在があったのでしょう、次第に僕の思いと

相手の思いが釣り合わなくなっていきました。女子だけでなく男子であっても、

周りからホモだとからかわれるため、例外ではありませんでした。

 その結果、仲良くなった人に依存してしまうようになってしまいました。

どうして仲良くしてくれないんだろう、僕っておかしいのかな?そう思いながらも、

頼ることができる人は、その人たちしかいなかったのです。気づいたときには、

孤立していてたくさんいじめられました。そこから人間不信になっていったのかも

しれません。

 中学の反省を生かしたのか、高校では「依存しないように」という考えが

無意識に行動として出ていました。それどころか、一人でいることを寂しいと

思っていないことがカッコイイと思っていた時期もありました。孤高の存在、

自分を貫く生き様、そう思うことで自分を慰めていたのかもしれません。

 ただ、僕が自ら一人でいようとすることは、周りの人にとって悪いようには

見えなかったらしく、一人でいようとすればするほど、どういう訳かたくさんの

友達ができました。

 ただ、その頃はセクシャリティに悩んでいた時期でもあり、昔のように深い関係

にはなれず、広く浅い関係でしかありません。2人きりでいればしゃべるけど、

他の人がいるならしゃべらない、いつもペアになるほど仲がいいわけでもないし、

学校以外で遊びに行ったり、私生活で一緒になったりは一切しませんでした。

言うなれば仕事仲間みたいな関係ですね。いつでも仲を切り捨てられるような、

便利なやつだと思われていたのかもしれません。

 ただ、中学で失敗しかしなかった僕は、これでも大成功だと感じました。

それ以来、この接し方しかできなくなってしまったのかもしれません。

学校や部活では仲が良くても、プライベートには一切かかわらせない

そんなやつが、プライベートが本業みたいな大学に行っても、うまくいくはずが

ないんです。時々周りの人に気を遣わせているのを感じて、辛いと思う時があります。

 きっと僕の中で、誰か1人だけと仲良くするというのがトラウマなんだと思います。

でも、大人数になると別に自分がいなくてもいいやと思ってしまい、一人になろうと

してしまう。結局は関係性を失うのが怖くて、「自由」の名の下に逃げているだけ

なのかも知れません。

 誰か一人を特別扱いすることも、誰かから特別扱いされるのも嫌で、だけど

本当に1人になるのはもっと嫌で、数いる友達の1人ではいたい。そんな矛盾だらけの

感情が僕の中に常に存在しているのです。

 「一人が好き」という言葉は、本当にひとりぼっちの人は使うことができない

言葉だと思います。「一人が好き」ということを伝える相手や、「一人が好き」だと

気づかせてくれた相手、自分が一人ではない状態にしてくれる相手も必要です。

 「一人が好き」という言葉を言うことで、「一人ぼっちではないんだよ」という

ことを伝えたいのかもしれません。誰かに一人ぼっちであるとからかわれる前に、

自分の意思で一人になっているんだと口封じをしているのでしょう。

 「人は自由の刑に処されている」、サルトルが残した有名な言葉です。

自由であることは、全てを自分で決めなければならないことであり、刑罰のように

厳しいものだという意味が込められています。

 「自由からの逃走」、フロムの有名な著書であり、中身を要約すれば、

人は自分であらゆることを決めることが出来る自由(積極的自由)を

求める。ただ、人は孤立することを最も恐れており、自由の中では全て

一人で決めなければならず、次第に孤独感や虚無感を感じるようになる。

そして、その恐怖に耐えきれなくなった人々は、自由であることから

逃げ出して、何かにすがろうとするのだ。

 僕は、もしかしたら「自由であろうとすること」自体にすがりついて、

自由ではなくなっていたのかもしれません。無理して「自由」という形式だけを

求めて、実質的に「自由」になりたいとは思っていなかったのかもしれません。

 おそらく、トランプのババ抜きをしながら人生について考える人はまぁいないと

思いますが、そんな当たり前なことすら僕にとっては特別なことだったんです。

 人の性格なんてそうそう変えられるものではないですが、「自由」に対する考え

というものは、これからの人生の中で深く心に刻みたいと思いました。