ゲイでノンセクシャル~人生の雨宿り~

雨ばかりの人生に、雨宿りができる場所を作りたい

「not」でわかる日本人

 「私には兄弟がいません」「I have no brother.」

「私は窓を割っていません」「I didn't break the window.」

日本語と英語の文章を見てなにか気づくことはありませんか?

 そう、日本語は「ない」が文の最後に来るのに対して、英語は「not、no」が

動詞、名詞の前に付きます。(いない兄弟を持っていますって面白い表現ですよね)

 なぜ日本語は、最後に否定を持ってくるのかというと「意見を変えやすいから

だと思います。

 英語の場合、否定は前の方に置くため、「私にはいません、兄弟が」

というように結論から述べるような形になります。そこには、一度決めたことは

絶対そうだ、という自己がしっかりしている意思を感じます。

 一方日本語の場合、「私には兄弟がいま……」というように最後の最後で

文の意味をひっくり返すことができるのです。まさに「顔色を伺う」という

日本人らしい文法だと思います。

 また、日本語は主語をぼかした言い方や、勝手にそうなったという「自発」の

文法が多いように感じます。文の入れ替えができることも大きな要因です。

 例えば、「私が窓を割りました」と言い切る形は日本語ではあまり使いませんね。

どちらかというと、「窓を割ったのは私です」というように、主語と述語を

入れ替えることで「窓を割った」という事実が、頭に残りにくいような文を作ることが

多いです。さらに「窓が割れました」というように主語を省く文法、

「窓が割れてしまいました」という自発的にそうなったかのような文法によって、

「窓が割れた」という事実から、「私」という存在を遠ざけることができるのです。

言うなれば、自分以外の何かに責任を押し付けることができるのです。

 ただ、英語の場合はそういう訳には行かず、必ず「主語」が必要なのです。

しかも一番最初に主語がくるため、日本語のように述語と入れ替えてごまかすことが

できません。「The window has been broken.」というように無生物主語を置くことで、

「私」を遠ざけたとしても、「窓は割られました」だけでは「誰に?何で?」という

ように「目的語」という形で、責任を完全に逃れることができないようになって

いるんですね。

 なんでこういった違いが生まれたのかというと、日本と英語圏での宗教や

自然環境の違いが影響していると思います。

 日本は、地震、火山噴火、台風、大雨といった自然災害がとても多い国です。

また明確に「四季」というものがあり、自然豊かな環境も相まって、

アニミズム」という考え方が広まっていました。(仏教とかより前のお話です)

 アニミズムとは「精霊信仰」のことで、八百万の神に代表されるように、

様々なところに、精霊や神様が宿るという考えです。アニミズムの「anima」は

ラテン語で「命」という意味があり、命ある生き物=アニマル、命があるように

動くもの=アニメーション、のように身近なところにその名を残しています。

 日本の人たちは厳しい自然環境を、「水に流す」ことによって乗り切って

きたのです。台風で家が飛ばされても「水に流そう」、地震が起こったのは

ここにいる誰のせいでもなく、ただ神様がお怒りになられたからだ、というように、

「神様」に責任を押し付け、人に押し付けてしまったことはいつまでも執着せずに

忘れてしまおう、という考えによって集団を保っていたのです。

 そのため、日本語には「窓が割れた」みたいに、自然にそうなってしまった

という表現が多いのでしょう。「気のせいだよ」「仕方ないね」という言葉に

逆らえなくなるのは、日本人として当然のことなのかもしれません。

 一方、英語圏では「キリスト教」が広まっており、多神教である日本と違って

一神教の国です。一度犯した罪は、どれほど神に祈ろうが、どれほど善行を

積もうが、決して消えることはないのです。

 また、一神教(主にユダヤ教、キリスト教、イスラム教)が広まった地域は、

寒冷な地域、雨が少ない地域、砂漠、土壌の養分が少ない地域といった、

とても厳しい自然環境であることが多いです。そんな地域では、「きっと大丈夫、

神様がなんとかしてくれる」といった心の支えが、生きていくために不可欠でした。

 また、全員で協力して助け合わなければ生きることもできない環境であったために、

一神教という絶対的な考えによって、集団の統一をはかったのかもしれません。

 ただ、あくまで自分たちで何とかしようとするのであって、神様に頼り切るわけ

ではありませんでした。もっとも神様は神聖なものであって、悪いのは全て自分たち

人間なんだ、という考えもあってなのか、何かに責任を押し付けようとはしなかった

のでしょう。

 宗教というものは、言語や文化などの根本として大きな役割を果たしています。

逆に言えば、言語や文化から宗教や考え方がわかることもあるのです。

言語や文化が日々変化しているように、考え方も日々変化していると思います。

古文を読めば昔の考えが分かり、英文を読めば英語圏の考えが分かります。

 小学校、中学校レベルの内容だからとバカにせずに、かつての教科書を眺めてみると

また違った面白さがあると思いますよ。