ゲイでノンセクシャル~人生の雨宿り~

雨ばかりの人生に、雨宿りができる場所を作りたい

「生きる」ことと「死ぬ」こと

 最近LGBTもそうですが、ダイバーシティ(多様性)という言葉が浸透し、

新しい物、クリエイティブな考え、技術革新に注目が集まっていますね。

だからこそ、多様性の反対の概念「普遍性」について考えてみたいと思います。

 とは言うものの、人間にとって普遍的な物って驚くほど少ないんですね。

例えば、言語、文化、生活様式はもちろん、宗教、道徳、地域、など

ほとんどの物は世界共通とは言えません。言語は要らないし、古くから親しまれてきた

世界共通のものと言われているあの「音楽」ですら、耳が不自由な人の世界に

とっては、常識ではないのです。芸術、スポーツ、学問上の知識も、体が不自由な人、

学ぶことができない人がいる以上、真の意味では普遍的とは言えないでしょう。

 かの有名なバックミンスター・フラーの「宇宙船地球号」が表している通り、

「地球に住んでいること」は普遍的ではありますが、今のところ宇宙飛行士でも

ない限りは、宇宙にはそうそういけませんし、普段から「地球に住んでいるんだ!」

と意識している人はあんまりいないと思います。(宇宙人でもやってくれば、

私たちは地球人だ!という地球ナショナリズムが強まるんでしょうか?)

 そんな中で人、および動物には「3大欲求」というものがありますね。

「睡眠欲、食欲、性欲」の3つの欲のことですが、いずれも「生きるため」もしくは

「種族を存続させるため」に存在しています。何かを食べること、水を飲むことは、

世界共通の普遍的なものと言えるでしょう。(断食をしたり、食べることを禁じられた

食材があったり、飲み水が得られない人たちがいたりしますが、一生飲食しない人、

したことがない人は、まずいないと思います) 

 そもそも人間に限らず、どうして生き物は「生きること、種の存続」を選ぶの

でしょうか?なかなか哲学的な問いですね。

 ここからは僕の考えなのですが、生と死のどちらが正しいのかがわからないから

だと思います。というのも、一度死んでしまうと二度と生き返ることができなく

なります。(2次元や輪廻転生みたいな話は無しです)でも、生きていれば

生き続けることと、死ぬことのどちらかを選ぶことができるのです。

一度死んで蘇ったという例がない以上、死後の世界がどうなっているのかや、

死んでしまうとどうなるのかは誰にも分かりません。そのため、生と死のどちらが

正しいのかは比較が出来ないんです。ならば、どちらも選べる「生」を選ぼう、

という発想が生まれたのだと思います。

 選択肢が多い「生きること」を選んだのと同じように、生き物はわからないことに

対して、できる限り多くの選択肢を残すように努めます。地球に色々な動物が

存在していること、同じ種類の生き物であっても個体差があること、常に進化を

続けていること、いずれも命を絶やさないために考え抜かれたすべなのだと思います。

 そのせいなのか、地球は常に変化を続けている「諸行無常」の世界です。

死なない生き物はいませんし、壊れない建物はありません。もしかしたらこの

地球ですら隕石によってなくなってしまうかもしれません。

 そんな諸行無常の世界の中で「死」だけは、覆ることのない「永遠」です。

一度死んでしまえば生き返ることはありませんし、死んでしまった人と新たな思い出を

作ることはできません。「死」とはこの世で認識できる唯一の「不変」なのです。

 とは言え、この世でない所には「不変」は存在します。天国、極楽浄土は永遠の

幸せがあると言いますし、物理や数学の世界では、常に成り立っている不変の法則、

公式があります。ただこれらは、人間の考え出した「理想」の世界であると僕は

考えます。

 「理想」というものは、実現しないからこそ「理想」なのです。というのも、

「理想」は実現したとたんに「現実」になってしまい、「理想」ではなくなって

しまいます。それでも「理想」を実現させたい、誰しもそう思うでしょう。

 将来の夢、なりたい自分の姿、誰もが憧れる富や名声、苦しむ人がいない

平和な世界、自分の思い通りになる権力、まだ見ぬ世界を解き明かす好奇心、

人にはそれぞれの「理想」というものを持っているのです。その「理想」が現実に

現れたもの、これこそが「欲」なのだと僕は考えます。分かりやすく例えるなら、

「欲=理想への恋慕」でしょう。

 ただ、いくら欲を満たしても、永遠ではないため「理想」にはかなわないのです。

「理想」は実現させると「現実」になってしまいます。そうすれば、新たな「理想」が

作られる、もしくは「理想」を失い燃え尽きることになります。「理想」を求め続ける

限り、「欲」が尽きることはないのです。

 でもこの世界には「死」という不変が存在します。ならば死ぬ瞬間にあらゆる欲を

満たしていれば、そのまま「理想」として永遠になれるのではないのか?と考える

人がいるはずです。つまり、人は死の瞬間のために生きるのだと思います。

 どんなに優れた人間であっても、どんなに偉い人であっても死んでしまえばあらゆる

ものを失ってしまいます。ならば「死」して残るものは何なのであろうか?

それは人々の記憶の中の自分であり、文字や芸術といった記録に残る自分の理想です。

 あるいは死によって得られるものは何なのであろうか?それは天国や極楽浄土と

いった「理想」にたどり着く権利であり、もう二度と変化することがない自分です。

 だからこそ、人は現世に残り続ける自分の記憶や記録が良いものであろうと努力し、

できる限り多くの人に残してもらえるように、友や家族を作ろうとします。

 「人は2回死ぬ、1回は寿命をまっとうしたとき、2回は誰からも忘れ去られたとき」

という言葉があります。自分という存在を忘れられることは、死ぬことと同じぐらい

恐怖なのです。そのため社会において友人の存在、および恋愛の力は、自らの存在を

留め続ける錨となります。リア充に憧れることのは、それだけ生きること、自らの

存在を知らしめることに固執しているのかもしれません。

 また、その友人、家族が死んだ後のその先の世代にまで、永遠に自分という存在を

伝えてもらえるように子孫を残すのだと思います。人が子どもを残そうとするのは

「人類のため」でもなく「親孝行のため」でもなく、「自分のため」に他なりません。

(これは僕がゲイであるから余計にそう感じるのだと思います)

 実際、歴史上の偉人は今もなお語り継がれ、記憶と記録の中で永遠に輝かしい功績を

残したまま生き続けているのです。その偉人の1人である、江戸時代の武士

山本常朝の言葉が記された書物「葉隠」の中に、「武士道と云ふは死ぬ事と

見つけたり」と記されています。尊厳死という考え方そのものだと思います。

 音楽や絵画といった芸術の世界では、あえて未完成のままにされた作品というもの

が存在しています。完成されてしまうと壊れてしまい、人の関心もなくなってしまう、

でも未完成であれば、手を加え続ける限り壊れることはないし、いつまでも人の関心を

寄せ続けてくれる、そんな願いが込められているそうです。

 ただ、そうなると本当に素晴らしい作品とは何なのだろうか?という

疑問が生まれてきます。真の芸術はどんな人でも、どんな時代でも美しいと感じる

はずだ、でも完成したものには存在し得ないし、未完成は未知の部分が多すぎる。

ならば真の美というものは「理想」に過ぎない、では現実世界にどう表現すれば

いいのかが分からくなるのも当然と言えます。

 そんな中で、ミロのヴィーナスはいつの時代でもどんな人でも美しいと認められて

いる「真の美」に近い作品だと言えます。それは人が持つ「理想」を引き出す力が

あるからでしょう。折れてしまった腕は見る人の「理想」の姿として補完されるの

です。俳句や短歌にも読み手の中に創造の余地が残されているからこそ美しいのかも

しれません。

 とは言え、そうやって記憶、記録を残して現世でも生き続けることができる人は、

ほんの一握りです。多くの人は何のために生きるのか、言い換えれば死んだときに

何が残るのか、がわからないまま生きています。そういう時、生き物が選ぶ基準は

選択肢がより残っていることでしたね。

 過去というのは言うなればもう変えることができない「不変」の存在、つまり死が

見え隠れしています。一方、未来というのはまだわかりようがなく、現実ではない存在

つまり「理想」の存在なのです。その中間にいて、生きることも死ぬことも自由、

「永遠」の存在に惹かれるか、「理想」を追い求めて欲を満たすのか分からない

存在こそ「今」なのです。この記事を読んでいる瞬間にも、「今」という存在は

死に続けて「過去」になり、「未来」という「理想」が「現実」になろうと

しています。

 若い頃は自分がしたいことをする=未来を見つめる、年を取ると死を意識し

始める=過去を振り返るように、「時間」というものは生と死の別の側面であると

思います。変化しなくなれば死が近づいてくるため、生きるためには常に変化し

続ける必要があるのです。時間はその過程で現れた副産物だと思います。

 写真を撮るためにシャッターを押すことは、その瞬間を切り取ることであり、

銃のトリガーを引いて息の根を止めることと同じ、という言葉を聞いたことがあります

が、写真という記録に残る=死の存在となるなので、まさにその通りだと思います。

 散文的でとっても抽象的な哲学的な話になってしまいましたね。

言いたかったこと、キーワードをまとめると、

  • 人には普遍的なものがほとんどないということ
  • 分からない時は選択肢を残そうとすること
  • 欲は理想への恋慕であること
  • 死=永遠、不変であること
  • 理想は現実には存在し得ないということ
  • 記憶、記録の中で、人は死んでもなお生き続けることができるということ
  • 永遠になるために人は子孫を残そうとすること
  • 欲を満たすことは「理想」を現実に引っ張り出そうとしていること
  • 過去=死、未来=理想、その中間に今=生があるということ
  • 時間というのは、生と死の別の側面であるということ

です。あくまで僕の考えですので、「そういう見方もあるよね」ぐらいに捉えて

もらえれば嬉しいです。